top of page

Medical Social Worker Association

協会について

​ホーム 〉 協会について

  岩手県医療ソーシャルワーカー協会

会長 小泉 進

当協会のホームページをご覧になっていただきありがとうございます。

令和4年6月から当協会の会長に就任しました、小泉進でございます。

私たちは岩手県民の福祉の増進の実現に向けて、医療ソーシャルワークの発展と資質向上に努めてまいりました。歴任の会長ら先輩方が築いていただいた礎や功績を考えると、会長の重責を担い身が引き締まる思いではありますが、当協会のさらなる成長と発展を実現させていく所存です。

昨今、新型コロナウイルスの感染拡大、毎年のように発生する大規模災害などにより当たり前の日常が突然脅かされる事態が発生しています。それにより住んでいる地域や世代を問わず、健康・経済活動・住まい・就労・教育・余暇など生活のあらゆる場面に影を落とし、生活しづらさを抱える人が増えているのではないでしょうか。またそうした生活しづらさを抱えている人たちが病気や怪我・障害を負った場合、その人の問題は複雑化し、一人ひとりの力では解決できない事態も生じます。

私たち医療ソーシャルワーカー(MSW)は病気や怪我・障害等で変わってしまった日常を取り戻すだけではなく、困難や障害を抱えながらも新たな日常を歩めるよう寄り添って支援し、その人のWell-Being(ウエルビーイング)の実現を目指すことを使命としています。そのためには患者・利用者様やそのご家族だけではなく、ある組織や地域、時には社会全体に働きかけていくことも必要となりますが、それには良いMSWによる実践が前提となります。良いMSWになるためには、新たなスキルの習得や継続した学習が必要となりますが、日々の実践だけでは得られないものもあるため、協会が研修やスーパービジョン、会員間の相互交流の機会をつくることで資質向上を図ります。

そうした積み重ねにより、私たちは、どの地域で生活していても質の高い医療機関で良いMSWに出逢え、誰もが良い支援を受けることができる岩手県を目指し会員一丸となって尽力して参ります。

みなさん、今後も岩手県医療ソーシャルワーカー協会をよろしくお願いいたします。

会長 挨拶

  沿革

日本に医療ソーシャルワークが導入されたのは、昭和4(1929)年東京聖路加病院に、リチャード・キャボット(アメリカ、マサチューセッツ州立病院の医学博士でアメリカの医療ソーシャルワークの創設者)の教えを受けた浅賀ふささんが仕事を始められた時とされています。

第二次世界大戦後、GHQの指導で国立病院、日赤、済生会病院などを中心に医療ソーシャルワーカーの配置が徐々に進められました。岩手県では昭和23(1948)年に盛岡保健所に大信田タヨさんが、翌昭和24(1949)年に盛岡赤十字病院に赤澤美喜子さんが配属されました。その後、県立病院などに広がっていきました。

昭和28(1953)年に医療ソーシャルワーカーの全国組織である日本医療社会事業協会(現在の公益社団法人日本医療社会福祉協会)が設立されました。その4年あまり後の昭和33(1958)年2月1日に岩手県医療社会事業協会が設立されました。当初の会員数は17名で、初代会長には赤澤美喜子さんが選出されました。

以来、約60年近くにわたり、医療ソーシャルワークの発展や医療ソーシャルワーカーの資質向上などを目的に活動を行っています。会員数も増え、多くの方が社会福祉士又は精神保健福祉士といった国家資格を取得して業務を行っています。

平成24年には会の名称を岩手県医療ソーシャルワーカー協会に改称しました。

初代会長の赤澤美喜子さんは、リチャード・キャボットの言葉を引用し、医療ソーシャルワークの役割を次のように表現しています。

『「医薬を与えることは、重すぎる荷を引いて山を登る馬に薬を与えるようなものだ。必要なことは、荷車を離して馬を休ませることである。人間の場合にもこの荷物を軽くして助けてやる工夫がされなければならない。」…医療社会事業が、病人の背負っている重荷を解いておろしてやる役割をすることになりました。』

我々は、諸先輩方の情熱を受け継ぎ、患者さんやその家族の方々のためにお役に立てるように歩み続けていきます。

文責:山舘幸雄

沿革

  事業計画

令和5年度 事業計画

令和4年度 事業計画

令和4年度 事業報告

事業計画
bottom of page